「魂の痕」梁石日著/河出書房新社

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 梁石日はその文学活動を詩人として出発させた。梁の詩人の稟質は、光と闇のより広く深いコントラストを描く散文(小説)の世界に転じても消されることはなかった。オビに「『血と骨』と一対をなす、実の母親をモデルにした、梁石日、最後の小説!」と謳われているこの作品も、苛酷な現実を描きながら、失われることのないリリシズムが薫る。

 梁の故郷の済州島でも、大日本帝国の支配下、土地調査事業の名目で農民たちは次々と土地を奪われた。男たちも悲惨だったが、女たちはなおさらに悲惨だった。

 祖先崇拝の念の強い朝鮮人にとって、墓は一族一統の象徴である。その墓までも日本人は奪った。1910年に朝鮮を植民地にしてからまもなく、全羅北道のある村で墓地の没収に抗議するように農民が墓の前で割腹自殺し、これを発端として暴動が起こった。朝鮮総督府は軍隊まで派遣して鎮圧したが、1カ月もかかった。

「俳句界」という雑誌で対談した時、梁は作家になるまでをこう振り返った。大阪で25歳で結婚し、26歳で印刷会社を始めて、これを倒産させ、現在で言えば10億円以上の借金を背負う。仙台で喫茶店をやっていた義兄から店を手伝わないかと言われて仙台に行き、文学とは無縁の生活を送る。しかし、それもうまくいかなくて東京に来た。

「東京に来ても、職も住む家もないわけですから、ホームレス状態です。食べていかなくてはならないから、タクシーの運転手になった。無論、本など読まない生活です。周りの人もそうです。生涯文学とは無縁の人、生涯小説の一冊も読まない人、このような人は現実にいて、しかもそれが生活になんの不都合もないわけです。では、文学とはいったい何なのか、という疑問が出る」

 疑問に鍛えられただけに、梁の作品は生の奥底の根源から湧いてくるようなエネルギーがある。それは意外に静かなエネルギーである。決して押しつけがましくない。

「ぼくは荷物になるものを一つずつ捨ててきた。肉親、虚栄心、金、書物、最後の砦だったなけなしの自尊心までどぶに投げ捨てた。お陰で身軽だ。いまや何の未練もない。昨日が今日で、今日が明日で、ぼくの未来は永劫にやってこない過去進行形である」

タクシー狂躁曲」(ちくま文庫)で梁はこう述懐しているが、梁の作品には捨てた者の勁さがみなぎっている。 

★★★(選者・佐高信)

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