「NEW YORK」北島敬三写真、北島敬三、倉石信乃文
「NEW YORK」北島敬三写真、北島敬三、倉石信乃文
写真家の著者は、1981年に初渡米。アパートを借りたニューヨークのイーストビレッジは、街の至る所でビルが全壊や半壊をしており、通りにはタイヤどころか、エンジンまで盗まれた車が何台も放置され、公衆電話はコイン目当てですべて壊されていた。
それでも人々は、当たり前だと言わんばかりに行き交い、「そんな映画のように見える光景が現実であること、実際に自分も彼ら彼女らと同じところを歩いていることに興奮した」著者は、その年に3カ月、さらに翌年には半年、ニューヨークに滞在し、連日、街に出てシャッターを切り続けた。
そうして生まれたモノクロの写真集が木村伊兵衛写真賞(83年)を受賞。本書は、その受賞作に、さらに80年代後半に何度か足を運んだニューヨークで撮影したカラー作品を合わせて再編集した写真集だ。
カウンターカルチャーの発信地だった当時のイーストビレッジには、人種も、性的指向も異なる実にさまざまな人物たちが思い思いのファッションで夜な夜な集まり、それぞれの人生を謳歌。
ぎりぎりの衣装を身につけてストリートで踊る黒人ダンサー(写真①)、路上で一触即発の緊張感でにらみ合う白人の若い2人、美しい肌をした半裸の若い黒人男性にもたれかかる白人男性のカップル(写真②)、ドラァグクイーンなど。荒れたざらついたモノクロの作品から、性別も人種も超越した、まさにるつぼのような街の熱気が伝わってくる。
それらの写真に見入っているうちに、読者も当時のイーストビレッジの路上に放り込まれたような気分になるに違いない。
作品にキャプション類は添えられておらず、状況を断定はできないが、手にシザーハンズのような器具を装着して葉巻をくゆらすアーティストのような男性がいたかと思えば、パトカーで連行される黒人の青年、著者のカメラに向かって毛むくじゃらの尻を出して見せる若者など、毎日がお祭り騒ぎのような夜の街で撮影された作品が並ぶ。
ところが、日が昇ると、街は別の顔を見せる。
アルコールもしくはドラッグか、酩酊した人々が点々と転がる歩道や道路には、ゴミが散乱し、著者も記した通り、あちらこちらにかつては車だった物体が放置され、すさんだ空気で街がよどんでいる(写真③)。
どちらもが、当時のイーストビレッジの現実なのだろう。
86年、再び訪れたニューヨークはその姿が一変していた。
そこは「経済的な利益を命懸けで競うアリーナ」に変わりつつあったと著者は追想する。後半は、そんな街を行き交う人々をカラーで撮影したポートレートが並ぶ。
その後のグローバル化の波によって街はさらに変容。再現不可能なニューヨークのあの時代を記録した貴重な作品集だ。
(合同会社PCT 7700円)