下積み時代の清水ミチコを親身になって叱ったのは永六輔
■人を親身に思って叱る難しさ
永さんは50歳くらいだったかな、背が高いし、声も大きいから怖いんですよ。真実を突く人でしょ。私のマネジャーになった女の子がちょっと遅刻しそうになって本番ギリギリに来たら、「君、これから清水さんのマネジャーをやっていこうって人がこんなことじゃダメだよ」と。その女の子は「目を見て叱られたのって生まれて初めて」と言ってました(笑い)。その人のことを親身に思って叱るって、今はなかなかできないですよね。
それからは「笑っていいとも!」のレギュラーが決まっていったりしたから、永さんに場を与えていただいた時期は短期集中の下積みですね。
面倒見たタレントが売れてくると「あいつは俺が面倒見た」と言う人いるでしょ。でも永さんは逆に離れていったというか。自分が好きでやってて、感謝されたいわけじゃないって感じでした。私が無名の時にやさしくしてくれて、売れてきたら距離を置くなんて「江戸っ子ってカッコいいなぁ」と思いました。ハガキでダメ出しをしてくれてたこともありました。
私も、当時の永さんくらいの年齢になったら、ライブハウスで新人のネタを見て「こういうとこ直したらいいよ」「場数を踏みなよ」と言ってプロデュースするオバサンになるのかな、と思ってたんだけど、50代になってもそんな余裕まったくなかった。自分のことしか頭にない(笑い)。