<第1回>何の根拠もないのに「いつかパルコに立つな」と
立川志の輔によるパルコ劇場の公演は20年続き(1カ月公演は11年)、今年がファイナルとなった。周辺地区の再開発計画によって同劇場が建て替え工事に入るため、中断するのだ。そこで、初回から毎年欠かさず見てきた私が志の輔にインタビューし、公演の裏話や師匠談志の思い出などを語ってもらうことになった。
まずは2月2日に最終日を迎えるまでの心境を。
「33年の落語家生活のうち20年を毎年過ごした劇場がなくなるわけですから、感慨深かったですね。思い入れのある空間を惜しみながらカウントダウンしてました」
1996年11月の初回公演は3日間だった。それでも、パルコ劇場のプロデュース公演である。
「実は富山から上京して明大に入学した18歳の年に、安部公房作の芝居をパルコ(当時は西武劇場)で見たんです。その頃はまだ芸人を目指していたわけじゃないし、なんの根拠もないのに、なぜか『自分はいつかこの舞台に立つな』と感じたんです」
それが落語家になって劇場の方から公演の依頼があった。