“原宿の母”に誘われ…島田秀平が「占い芸人」になるまで
■「あんた、手相を見る力がありそう」
お金がないので、バイトしてたカラオケボックスでは、部屋を片づける時、お客さんの食べ残しがあると捨てる前につまみ食いしてました。チキンナゲットとか。ファミレスのバイトの時は賄いがあって、ショウガ焼きとか豪華。バイトのみなさんが「おまえ食えてないんだから」ってご飯を大盛りにしてくれたり。
一番融通が利いたのはポスティングですね。夜に電話しても翌日にやれる。そのバイトは、散歩がてら働くおじいちゃんが多かった。チラシをポストに入れるよりチラシを持ち運ぶのが大変で、おじいちゃんは頑張っても1日5000枚しか配れない。その点、若いから倍の1万枚イケた。そしたら、おじいちゃんたちや他のバイトから「エース」と呼ばれ、チヤホヤされて!でも、朝から晩まで目いっぱい働いて1万枚で1万円くらいかな。1枚1円計算です。
30歳すぎてもコンビは売れず、相方が「辞めたい」と言ってきて、「あと1回『M―1グランプリ』に挑戦してダメだったら解散」と決めたけど、また決勝に行けず……解散。ネタを作っていたのが相方だったので、僕はひとりになって“どうしよう”と。悩んだ末に占いを勉強した。