音楽活動できない事務所の状況は長瀬智也とって監獄だった
「アイドルって最初は何もわからないけど(中略)<自分はこれだな>ってものを見つけると、凄い覚悟でそれに向かっていくんです」(※2)と語る長瀬は、音楽という自分の生きる道を見つけて、覚悟を決めた人なのだ。
TOKIOは椎名林檎や中島みゆきに楽曲提供を受けていた時代を経て、13年以降はバンド内でコンペをして曲を選んで発売する形式を取ってきたが、研鑽の甲斐あってか長瀬の楽曲は採用率が高い。14年にはサマーソニックに出演して喝采を浴びるなど、バンドとしての評価が確立されてきたタイミングで起きたのが、山口の事件だった。
山口の脱退以降、TOKIOはCDリリースはもちろん、ライブ出演を含めた音楽活動を一切行っていない。俳優業やバラエティー出演は続けているものの「本業はTOKIOというバンド」(※3)と語っていた長瀬の、精神的なダメージは計り知れない。
昨年「(ジャニーズに入ることを)“入所”って言うと、プリズンみたい」と笑う木村拓哉に対し、「プリズンみたいなもんじゃないですか(笑い)」と返していた長瀬(※4)。音楽活動を禁じられたジャニーズ事務所は、長瀬にとってさながら監獄のようなものなのかもしれない。