映画館は「人生の学校」コロナで閉じてしまわないでくれ
「二代目はクリスチャン」(85年)の時だ。瀬戸内海を渡って試写会で挨拶し、温泉町で1泊し、帰路は飛行機かと思ってたら、神戸港まで夜行の汽船で船旅まで用意されていた。ものごとに余裕があり、合理的に進んだ。新幹線の速度もゆっくりで、景色を眺めてるだけで発想がわいた。食堂車でワインを飲んで映画パンフの原稿を手書きで書いた。パソコンの文字フォントにイラつくこともなかった。封切り日の新宿の舞台挨拶では襲名式のように紋付き袴まで着せられて、楽しかった。
映画館に行くのは「不要不急の外出」なのか。青春の頃、どれだけ遠くても目的の映画館に行き、館内の売店で買ったコーヒー牛乳とカレーパンだけで一日をしのぎ、終日、銀幕(スクリーン)を前に、そこに映る人の生きざまと死にざまに、義務のように向かい合った。日に映画2本、3本のハシゴも当たり前。「俺たちに明日はない」もS・マックイーンの「ブリット」もD・ホフマンの「卒業」も「イージー・ライダー」も、映画館は人生の教室だった。学校で習わないことを学んだ。テレビやパソコン画面じゃ映画芸術の魅力や映画科学の魔力は伝わらない。12歳の頃から、暇さえあれば駅裏の大人のにおいがする映画館に通った。早く大人になりたくて、そこが学校代わりだった。“不要不急”ではなく、ボクには“最も必要な”外出だった。映画館よ、コロナで閉じてしまわないでくれ。映画難民を出さないでほしい。