<23>陽子が亡くなりチロが亡くなり…情況に慣れずにいた
チロがいなくなって、もう10年が経つのかぁ。チロちゃんが亡くなったのは3月2日でね、翌日の桃の節句の日に見送ったんだよ(2010年3月2日にチロが息を引きとり、3日に荼毘に付された)。ペットの共同墓地みたいなのがあって、「お土戻し」って言うらしいけど、チロの遺骨を土に戻してあげたんだ。
写真に全部残っているから、ペットロスなんてない
みんなよくペットロスなんて言うけど、そんなことないよ。もう土に返してあげたんだから。ちゃんと写真に撮ってあるから、もう。二つの要素があるけどね。写真がなければ、こんなことまで思い出さないのにというのと、逆に思い出させてくれるという。二つあるんだ。だって今だってさ、陽子が入院しているときに、陽子が亡くなったときにね、チロが、彼女のベッドの上にポツンとさ、座っている写真とかあるじゃない。そういうのを見ると、ヒャ~ってなるんだよね。入院していて、ずっと帰ってこないとき、陽子の代わりにかな、そこにスポンといたね。
オレの場合、写真に全部残っているから、ペットロスなんてないんだよ。写真に残っているから、写真を見ればいいの。寂しいですか? って聞かれるけどね、寂しくないって言うんだ。今思うとさ、あん時あれだったなあって、そういう感じがするんだ。要するにきっかけね。あれ、チロ、どこかな、こんなことあったなぁとかさ。いろんなときに、チロのことを思い出す。
「あれ? あのソファーにいたのにな」なんて…
チロが亡くなって、陽子が亡くなったときもそうだけど、それまでいてくれた存在が、突然いなくなって、その情況に、なかなか慣れることができなかったね。うたた寝したりすると、チロちゃんが夢にでてきたり、家に帰って、空っぽのソファーが目に入ると、「あれ? あのソファーにいたのにな」なんて思っちゃう。風呂場から出てドアを開けると、チロちゃんが待ってて、オレと入れ替わりで脱衣所のほうに入って行って、洗面器の水を飲む。そういうのが日常だったのに、いつものところにチロがいないんだよ。どこにも、いなくてね。
(構成=内田真由美)