田原俊彦“気持ちは48歳” 意気軒高のウラに努力とやせ我慢
■長女誕生会見での「ビッグ発言」を機に干される
甲府市出身で、幼い頃に父親を亡くし、母親が姉3人と田原を女手ひとつで育てる姿をみて、芸能界で成功し、生活苦から脱出したいとジャニーズ事務所の門を叩いた。エンタメへの強い憧れもあって、故ジャニー喜多川氏のプロデュースで売れっ子に。「たのきんトリオ」は社会現象にもなった。
「ジャニーズから独立した94年、長女誕生の記者会見での『ビッグ発言』を機にバッシングが起こり、芸能界から干されましたけど、田原さんは『干されたのは俺に力がないから』と、ライブ活動を続けた。復活したのは2011年から『爆報!THEフライデー』で爆笑問題と並び、初の司会を務めるようになったこととされましたが、ダンスなどのトレーニングを続けたことが大きいのでしょう」(前出のデスク)
ジャニーズ事務所から退所し独立すると、しばらくはTV局から呼ばれないとの不文律も業界にはびこっていた時代だ。そうした逆境を乗り越えてきた田原には、こんな見方もある。芸能プロデューサーの話。