向田邦子没後40年 令和の時代にも読み継がれる魅力の神髄
向田邦子はなぜ読み継がれるのか――。亡くなって40年の月日が経つが書店には今も“向田本”が鎮座している。傑作ドラマの脚本家、名エッセイスト、直木賞作家であった向田について、先ごろ「少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉─」(新潮社)を著したメディア文化評論家の碓井広義氏による特別寄稿。
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脚本家、エッセイスト、そして作家でもあった向田邦子。今年は没後40年に当たる。驚くのは令和3年の現在でも向田作品が読み継がれていることだ。
向田は16歳で敗戦を迎え、学校を出たら結婚して専業主婦になるのが珍しくない時代にキャリアウーマンの先駆けとして働き始め、雑誌の編集者を経て脚本家となった。やがて「寺内貫太郎一家」などのヒット作を生み出し、売れっ子と呼ばれていく。その後、乳がんを患い、その後遺症と闘いながらエッセイストとしても活躍した。
さらに小説を書き始め、その分野でも才能を発揮する。なんと小説誌に掲載した「花の名前」などの作品で、つまりまだ単行本(「思い出トランプ」)にもなっていないのに、直木賞を受賞するのだ。
「突然あらわれてほとんど名人」
政治から文学まで、辛辣な言辞を吐くことで知られるご意見番、山本夏彦が評した「突然あらわれてほとんど名人」という言葉が、彼女の才能への称賛と驚きを象徴している。だが、向田邦子は頂点とも言うべき時期に、突然姿を消してしまう。1981年の夏、取材旅行先の台湾で航空機事故に巻き込まれたのだ。享年51。
彼女が書いた作品はすべて、当然のことながら40年以上前のものだ。にもかかわらず書籍は書店に並び続け、ドラマがリメークされたりしてきた。
向田作品の魅力はどこにあるのか。最大の武器は独特の「鋭い観察眼」だろう。特に女性について書いた文章には、ドキッとさせられる視点が潜んでいる。
「女にとって髪をとかすことは、涙であり溜息の代償である」(男性鑑賞法「眠る盃」)。
「人生到るところ浮気ありという気がする。女が、デパートで、買うつもりもあまりない洋服を試着してみるのも一種の浮気である。(中略)おかげで大きい本ものの浮気をしないで済む数は案外に多いのではないだろうか」(浮気「霊長類ヒト科動物図鑑」)。
次に挙げたいのが「家族をめぐる記憶」だ。たとえば初のエッセー集「父の詫び状」。何よりタイトルにもなった向田の父、敏雄の存在が際立っている。家父長制時代の家庭内ワンマンなのだが、向田の手にかかると、頑固さの奥にぬくもりやユーモアを感じさせる人物像が浮かび上がる。人物描写の秀逸さもさることながら、語られる昭和初期から10年代にかけての東京の下町の情景、山の手の家庭が醸し出す雰囲気の描写などは、単なるノスタルジーにとどまらず、私たちが忘れかけていた、暮らしの原点を教えてくれるのだ。
「家族」という普遍的なテーマ
その手腕はドラマ史に残る名作「あ・うん」(80年、NHK)でも発揮されている。舞台は昭和初期の東京。主な登場人物は水田仙吉(フランキー堺)と妻のたみ(吉村実子)、仙吉の親友である門倉修造(杉浦直樹)の3人だ。門倉は心の中でたみを思っており、その気持ちをたみも仙吉も知っている。しかし門倉はそれを言葉にしたり行動に移したりしない。不思議な均衡の中で過ぎていく日々を水田家の一人娘、18歳のさと子(岸本加世子)の視点で追っていく。その小説版には、母と娘を女同士としてとらえた、こんな描写がある。
「お前、嘘ついてたね」
玄関の鍵をしめながら、たみは今までにない目の色でさと子を見た。(中略)子供だと安心していたのが、急に自分と同じ女になっていたという、狼狽とほんの少量の意地悪さ。さと子は、お母さんと同じプラトニック・ラブよ、と言いたいのをこらえていた。(小説「あ・うん」)
思えば家族とは不思議なもので、あくまでも期間限定の存在だ。しかも父、母、子として日々を過ごし、互いを熟知しているはずなのに、何かをきっかけとして、家族の中に他者を垣間見ることもある。向田はそうした瞬間を見逃さなかった。
昨年からのコロナ禍の中で、私たちは生きる基盤としての「家庭」や、共に暮らす「家族」との関係に目を向けるようになった。向田が大切に描き続けた「家族」というテーマ、その普遍的な実相が、40年の時を経て再浮上してきたように思えるのだ。
(メディア文化評論家・碓井広義)