「いかに自分の色を出すか。姉様キングスでアホなことを続けながら」
連載の初回に、染雀が上方の落語家を対象とした賞を複数取っていると紹介したが、最初の受賞は2001年のなにわ芸術祭新人賞だった。
「実は審査員のひとりがうちの師匠、染丸やったんです。2000年に準優勝の奨励賞を受賞した時、言われました。『他の審査員はおまえに新人賞をと言うてくれはったけど、今あいつにやったら増長するからと、準優勝にしてもろうた。その上で1年間、本人が精進して、ちょっとでも成長してたら、来年新人賞をやって下さい』と」
師匠の愛のムチに染雀は応え、次の年に新人賞を受賞した。繁昌亭大賞は?
「これは繁昌亭の昼席公演、つまり定席にどれだけ貢献したかというのと、夜の貸席で自分の会をやって客を入れたか、出来は良かったかなどが評価の対象になるみたいです。僕はズボラで自分の会を開いてなかった。賞の対象となるのが芸歴25年目までで、24年目の年に仲間の月亭遊方さんに言われたんです。『おまえが年に3回自分の会を開いて、その会が実りのあるもんやったら、絶対取れるわ』と。そのアドバイスに従って3回、『芝居噺の世界』というテーマで会を開き、3回目を文化庁芸術祭参加公演にしました」