ジャニー喜多川氏の性加害を暴いた“禁断の書”の中身…超人気アイドルが「ジャニーさんが、ジャニーさんが…」
《30回から40回くらいは性的虐待があったと思います。そのたびに、ジャニーさんの性癖にまた巻き込まれてるって思い、会うのも嫌だし、話すのも嫌になって、合宿所から足が遠のいていきました》
■「事務所巨大化」と「少年への性加害」の光と陰
「ジュリーさんや東山の謝罪で鎮火するどころか、マッチのコメントが火に油を注ぐ格好となった。顔出し実名告白する元アイドルが次々に現れ、もはや『知らなかった』では済まされない状況にあり、性加害問題の着地点は見えなくなりました」(大手芸能プロダクション役員)
今問題になっているジャニー氏による少年への性加害は、今から50年以上も前から一部で報じられていた。筆者が97年に出版した「ジャニーズ帝国崩壊」(鹿砦社刊)から一部をひも解いてみたい。
「ジャニーが自ら語ったところによると、1952年に召集されて1年2カ月間、朝鮮戦争に従軍したという。そして除隊後、アメリカ大使館で軍事顧問団の任務に就いたことになっている。アメリカ大使館の人事部に確認すると、軍事顧問団は大使館ではなく駐留米軍の一つのセクションで、六本木の防衛庁のところに事務所が設けられていたそうだ。(中略)日本に戻って来たころには、ジャニーはすでに少年愛の世界に没入していた。朝鮮戦争の時代に目覚めたという説もあるが定かではない。軍事顧問団のスタッフの頃から外交官ナンバーの車で新宿の花園神社の界隈に繰り出し、『ケニー』や『L』、『牛若丸』と言った●●バーで遊んでいる姿が目撃されている」