「ザ!鉄腕!DASH!!」の名物村人だった保原剛史さん 番組卒業18年、水耕栽培のスペシャリストに
さて、保原さんが初代の清隼一郎さん(放送作家)から引き継ぎ、福島県浪江町の「ダッシュ村」2代目村人になったのは2002年10月。実家があるたつの市から上京して2年目、東放学園専門学校の学生だった。そして村を卒業する2006年7月まで現場に常駐。TOKIOや地元農家・三瓶明雄さんらと古民家再生、農作物栽培、ヤギなどの動物の飼育に励んだ。
「TOKIOの皆さんは、人気アイドルなのに誰もが偉ぶったところがなく、とても気さく。僕にはスタッフというより、『イジリやすい弟分』って感じで接してくれてましたね」
今でも大事にしているのが、卒業時にもらったフットサルボールだ。
「TOKIOから長瀬さん、山口さんが離脱した今、5人揃ったサインがあるって、今じゃとても貴重。我が家で一番の家宝です」
ダッシュ村の大きな転機は2011年3月に発生した東日本大震災。福島第1原発爆発事故による放射能汚染のため、周辺は帰還困難区域に指定され、村は移転を余儀なくされた。
「交流があった地元の人たちも散り散りになってしまい、震災以降は現地に行ったことはありません。福島へは、2014年6月に明雄さんが亡くなられ、葬儀に参列したのが最後です。もし原発事故がなかったら……って今でも時々考えますね」
自宅は農場から車で約30分。奥さまと小3、小1の男子の4人暮らしだ。
(取材・文=高鍬真之)