中村敦夫(2)「10回死ぬところが17回まで生き延びました。金欠病でしたから助かったよ」
![(左から)市原悦子、中村敦夫、原田芳雄(C)共同通信社](https://admin.nikkan-gendai.com/img/article/000/341/529/9d43754556f67ed84182bb379a00a07020240612112221919_262_262.jpg)
1971年のNHK大河ドラマ「春の坂道」の脚本は山岡荘八で、大河では初の書き下ろしだった。つまり、視聴者の反応を見ながら書き進める手法。視聴者から「中村敦夫の石田三成を殺さないで欲しい」という延命懇願に局は抗しきれず、山岡に脚本の書き直しを頼み、三成の出番を「可能な限り」増やし…
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