マスク着用に関する「個別」の考えと「一般的」な考え
先日、医者を対象とした臨床研究コースの研究発表会に参加したときのことである。複数の発表者が、「個人的な疑問としては」という言葉を枕にして自身の発表をしたのだが、そのあとに続く発表内容が、個人的どころか、どちらかというと一般的で、みんな同じように誰でも言いそうな内容であったことが印象に残った。
なぜそこが印象に残ったかといえば、コロナの流行についていろいろ考えていたことがおそらく影響している。
この状況は「個人個人が判断しているにもかかわらずみんながマスクをしていること」と重なっている、そう思えたからだ。
大多数の人が屋外でもマスクを着けている現状に対して、同調圧力の結果、みんながしているから私もするという日本の特徴が表れているという解釈がある。しかしここには、同調圧力とはまた違った、個別の判断と一般的な判断のつながりがある。
個人的と言いつつ一般的なことを言う状況は、“みんながマスクをしているのは、周りがしているから”というだけではなく、個人的な判断の結果が“みんなマスク”という現実をつくっているということかもしれない。