日比谷高校の東大合格者数“復活”に尽力した3人の立役者
「でも、一気に名門校の座から転落するようなことはなく、生徒の側もみんな、日比谷高生だという気概を持っていた。僕は劣等生だったけど、優秀なヤツはまだ多かったんです」
学校群制度下で最初の卒業生が出た70年の東大合格者は99人で5位。このOBが卒業した72年はベスト10からは外れたものの、なんとか50人台は保っていた。しかし、その翌年は30人を切り、以降浮上することはなかった。82年には学校群制度が廃止されたが、日比谷高の低迷は続き、90年代に入ると一桁で推移。93年には東大合格者わずか1人という、かつての絶対王者の面影がどこにもない状況まで追い込まれた。
■「学校群制度」導入によって転落
「東大合格者数だけでその学校のレベルが計れるものではありませんが、傍目からはもっともわかりやすい進学校のバロメーター。その数が落ちてくれば、実力のある受験生は敬遠するようになり、ますます低迷するという悪循環におちいるのです」(大手学習塾・高校受験担当)
進学校としては完全に忘れ去られた存在だった日比谷高だが、21世紀に入ると異変が起こる。05年、東大合格者が前年の3人から14人に躍進したのだ。その後、二桁を割ることはなく、10年37人、16年には53人(11位)を記録。