日比谷高校の東大合格者数“復活”に尽力した3人の立役者
「学校間の格差をなくすというそれまでの方向性とは正反対に、石原さんは競争原理を持ち込んで、都立高の底上げを図ったのです。そこで振り落とされる学校があっても、それはそれで仕方がない。弱肉強食によって、強い都立高をつくるというのが石原さんの考えでした。それを実現するために、校長に強い権限を与えたのです」
そうして日比谷高の校長に抜擢されたのが、都立高の教員生活を経て、都立教育研究所統括指導主事や都教育庁学務部副参事を歴任した長澤だった。
「教員時代は、都立高の従来のやり方に固執して変化を望まない多くの教員たちとぶつかり、対決してきた人物です。行政の分野に転身してからは、日比谷高に自校作成問題による独自入試を導入させるなど、入試制度改革に取り組んできた。それらの功績に加え、教員に対して妥協を許さない姿勢が石原さんの方針に合致し、日比谷の校長に就くことになったのです」(都元職員)
だが、長澤の校長就任は大きなあつれきを生むことにもなった。長澤は自身の方針に合わない教員に日比谷高からの異動を促し、当時始まった都の教員公募制度を使い、大幅に職員を入れ替えたのだ。