日比谷高校の東大合格者数“復活”に尽力した3人の立役者
「学校内外の反発も大きかったのですが、長澤校長は有無を言わせない形で、自身の方針を押し通した。それはまさにファシズムだった。"都教育庁の回し者"とか"石原都知事の手先"と憎悪を込めて呼ぶ者も少なくなかったのです」と日比谷高関係者は述懐する。
■2学期制と1コマ45分7時限の導入によって授業が効率化
だが、そうした声をかき消したのは、東大合格者数の増加だった。前述したように、進学校のもっともわかりやすいバロメーターであり、マスコミも好意的に取り上げた。
「予備校講師のように大学入試に直結する教え方のできる教員の採用。さらには2学期制や1コマ45分7時限の導入によって授業の効率化を図り、補習や講習にも力を入れるようにした。この受験偏重型の長澤改革を踏襲したのが次の次の校長に就任した武内さんです。長澤さんに比べ、幾分ソフトな人柄ながら、結局は自分の思い通りにするという点では変わらなかった」(日比谷高関係者)
東大入学者数の推移を見れば、長澤・武内改革が功を奏したのは明らかだが、OB・OGの間では危惧する声も上がっている。日比谷高の同窓会組織「如蘭会」に所属する会員のひとりはこう話す。