イギリス出身の店主が「有楽町ガード下の名店」の3代目を継いだ経緯と苦労
有楽町(千代田区)
高校の授業をさぼってキネマ旬報各賞の表彰式を見に行ったのは1977年のこと。
高倉健が男優賞を取り、本物の大スターを目の前で見たアタシは俳優になる夢をそこであきらめたのである(ウソ)。「幸福の黄色いハンカチ」「八甲田山」のころの健さんだ。死ぬほどカッコ良かった。
この表彰式が行われたのが当時の日比谷映画街の一角にあった千代田劇場。隣にはみゆき座があり、70ミリ大画面の有楽座、ゴージャスな日比谷映画が並んでいた。映画人口が激減していた当時でも話題の洋画には封切り映画館の前に行列ができたものだった。今やその面影はないが、ゴジラが跡地の守護神となっている。
さて、そこから有楽町駅方面に足を向けるとマリオンを取り囲む大行列にぶち当たった。なんだ!? ああ、宝くじね。世間はもうそんな時期なのか。
夢を求める人たちを後にアタシが向かった先は、有楽町ガード下の名店「新日の基」。アタシが初めてホッピーなるものを飲んだのがこの店だ。かれこれ42~43年前のこと。とにかく濃かった。調子に乗ってぐびぐびやって地獄を見た覚えがある。
今夜はそのころから変わらない肉豆腐(900円)をつまみにホッピーだ(630円)。
この店の3代目店主は来日して38年になるイギリス出身のアンディさん。創業者のお孫さんがイギリス留学中、アンディさんと恋に落ち、彼を連れて帰国した。結婚したアンディさんはそのまま店で働くことに。
「大変だったよ。ずいぶんいじめられたし」。誰に?「言えない(笑)」。代わりにアタシが言おう。当時の客は今と違い、男ばかりで荒っぽかった。人のことは言えないが、飲めばベロベロになるまで帰らない。
カタコトの日本語を話す外国人の店員は珍しく、ダイバーシティーなんて言葉も使われなかった時代の酔っぱらいたちだ。そりゃあ、格好の餌食になる。魚河岸だって簡単には受け入れてはくれない。外国人に日本の魚の良し悪しがわかってたまるか、ってなもんだ。大変な苦労をしたであろうことは想像に難くない。