江藤新平は明治7年「佐賀の乱」で処刑 さらし首にされた
征韓論に敗れて下野した西郷に、やはり下野した板垣退助が「いずれまたあなたと共に、この国をつくり上げる仕事に取り組みたい」と伝えた。西郷は首を縦に振らなかった。彼の本心は不明だが、実際に鹿児島に帰ってしばらく骨休みをしたいとの思いもあっただろう。これからの国づくりに自分の役割はな…
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