<第11回>「長男はかまってあげられませんでしたし、野球も教えていません」
水沢にはやがて、大谷が通うことになるリトルリーグのチームもあったものの、
「そんなチームがあるのも知りませんでしたし、わたしも家族を食べさせていかなければなりませんでしたから」
と、自動車のボディーメーカーに勤務する大谷の父・徹(52)。当時は出来たばかりの岩手工場に通い、「仕事と子育てでいっぱいいっぱい。野球どころではなかったのです」とこう続ける。
「1年くらいは昼の勤務が続いたのですが、出張で他の自動車メーカーに行ったり、県外の工場に3カ月単位で行ったりしました。3年目くらいから本格的に(車体を)つくり始めると、今度は昼夜2交代ですから。長男はかまってあげられませんでしたし、野球も教えていません」
龍太は徹が26歳、加代子が25歳のときに生まれた子供だ。若い両親にはまだ、子供に本格的な野球をやらせる余裕はなかった。
「龍太は、若いときの子供でしたからね。若ければお給料も少ないですし、生活でいっぱいいっぱいだったのです。30歳を過ぎてからの子供であればまた、違ったのかもしれませんけどね……」と加代子がこう打ち明ける。