<第10回>転職した父・徹氏を待ち受けていた壮絶な労働条件…長男には野球をさせてやれなかった

大谷の父・徹(52)の新たな職場は自動車のボディーメーカー。車体を造る過程のラインに携わる仕事だ。徹がいまも勤務する会社の工場が横須賀にあった。ただでさえ不慣れな仕事のうえ、勤務は完全な昼夜2交代制。昼は午前8時から午後5時。夜は午後9時から翌朝の午前6時まで。そこから残業が1時間ないし2時間あった。
住まいは横浜市旭区の3DKのアパート。大谷の母・加代子(51)の実家から徒歩2~3分の距離にあった。
「岩手に行くのが前提でしたし、小さい龍太がいて、次の子も……なんて考えると、少しでも実家に近い方がいいと。お父さんは大変だったと思いますけど……」と加代子は話す。
勤務地は横須賀の追浜だった。駅から歩いて20~30分の距離を、市営バスで通った。工場まで片道1時間半、往復3時間の道のり。昼勤務のときは毎朝、6時前にアパートを出た。
「かなり、つらかったですね。新しい仕事で分からないことも多かったですし。ただ、若かったですし、こっち(岩手)に戻れるというのがありましたから」(徹)
往復3時間かかるうえに、残業付きの昼夜完全2交代制――。徹はこの勤務を約2年半続けた。
加代子も働きながら家計を助けた。実家の母親に頼んで長男・龍太の面倒をみてもらい、「暮れの1カ月間だけアルバイトをしたり、ちょこちょこと(仕事は)していました。教育費もかかりますし」(加代子)。
転職から3年目、徹が30歳になる92年、第2子の結香(22)が生まれた。
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