挑むような目をした記者とカメラマンに恐怖を感じました
取材攻勢から逃れるために、知人を頼って1カ月ほど滋賀県に「雲隠れ」したこともありました。本当はその滋賀の施設で1年間練習を続けて翌年のドラフトを待つつもりだったのですが、バッシングが一向に収まらない。いずれ滋賀の滞在先も突き止められる。ハワイへの野球留学を決めたのは、マスコミから解放されたい、彼らのいる日本から逃げ出したい、ひとりになりたい、その一心だったのです。
小中学校のときに在籍したボーイズリーグ「ジュニアホークス」で会長を務められている、元南海監督の穴吹義雄さんにハワイ留学の道を紹介されたときには、「行きます。行かせてください」と二つ返事でお願いしました。
それまでに行ったこともない海外で、ひとりで生活する。それがどれだけ大変なことかと考えもしませんでした。
実際にハワイに行ってすぐに後悔しましたね。情けない話ですが、毎晩、星空を見ながら泣いていました。(つづく)
▽もとき・だいすけ 1971年12月30日生まれの43歳。大阪府出身。上宮高時代に甲子園に3度出場し、歴代2位タイの通算6本塁打を放つ。89年のドラフト1位でダイエーに指名されるも、入団を拒否してハワイに野球留学。翌90年ドラフトで巨人から1位指名を受けて入団。長嶋監督が「クセ者」と呼んだ野球センスを武器に一時代を築いた。05年オフに引退し、現在はタレントとしても活躍する。通算成績は1205試合に出場して打率.262、66本塁打、378打点。