ロシア声楽家の父が告白 燕ドラ1原に授けた“欧米流教育”
「ロシア声楽を選んだのは、僕自身の適性を考えたから。僕は声が低く、『バス』をやっていこうと思った。ロシア人は声が低い人が比較的多く、『バス』が生まれやすい土壌がある。ただ、日本ではロシア語は習得しづらい言語なので、ロシア音楽の器楽家と比べて、声楽を専門にやっている人数は少ない。外大でロシア語を学んでいた友人がいたので、ロシア語を教えてもらいながら、最初は見よう見まねで勉強しました」(敏行さん)
大学では他国の音楽も講義しながら、ロシア声楽を突き詰めた。
「専門分野を持って、自分にしかできないものを持たないといけないと思って、仕事に取り組んできました。これは野球でも同じことがいえるんじゃないか。上達するための考え方をアドバイスすることは惜しまなかった。一人前になるための練習の仕方、勉強の仕方、自分を磨いていくプロセスは、共通するものがあるはずですから」(敏行さん)
大学時代に躍動した神宮で、美しい音色を奏でられるか。
▽はら・じゅり 1993年7月19日、兵庫県加古川市生まれ。小1から軟式野球を始め、加古川中部中では軟式野球部に所属。東洋大姫路高3年夏に甲子園8強。東洋大では1部通算11試合1勝4敗、防御率3・33。2部通算19勝9敗。180センチ、75キロ。右投げ右打ち。内角を強気に攻める投球スタイルが武器。