ジーコ日本“幻の9番” 久保竜彦は広島でストライカー養成
これまでサッカー日本代表には、強烈な印象を残す選手が多くいた。ジーコ・ジャパン時代の“ドラゴン”久保竜彦選手(40)もそうしたひとりだ。今どうしているのか――。
■現役時代に残した数々の“伝説”
まさか「取材OK!」とは思っていなかった。久保さんは“極端な人見知り”の印象が強かったからだ。
「知らない人と話すのは苦手だったし、福岡訛り(福岡・筑前町出身)を聞かれるのも恥ずかしかった。正直、誰としゃべるのもイヤだった時期もありました。でも、このトシになって、それでは世間に通用せんでしょう。今では誰ともフツーに話しますよ」
広島市内の居酒屋で会った久保さん、こういって苦笑いを浮かべた。背中を丸めてボソボソッと話す様子はイメージのまんま。しかし、ビールの杯を重ねるにつれ、口は滑らかになってきた。
「飲み屋に行くと友達ができ、ますます飲み歩くようになる。まあ、アルコールは好きですね」
そういえば、サンフレッチェ広島の上下のジャージー姿のまま泥酔し、寮の前の電信柱に寄りかかって爆睡していた、なんて“久保伝説”も巷間伝わっている。