天職はコーチ 球団に3年翻弄された西武・田辺監督の悲哀
「責任が一切ないとは言いませんが、田辺監督は可哀想ですよ」
こう話すのは、ある西武OBだ。
常勝球団の面影は消えて久しく、リーグ5位と低迷している西武。田辺監督(50)の解任は避けられず、すでに辞任報道が出たり、後任候補の名前も取り沙汰されている。
しかし、責任を取るのは指揮官だけなのか。田辺監督は02年に西武二軍打撃コーチに就任すると、中村や栗山といった現在の主力選手を育て、13年からは一軍打撃コーチになった。もともとコーチが天職というタイプで、とりわけ若手育成には定評があった。今でも二軍に視察に行くと、「こっちの方が落ち着くなあ」と漏らすほどだ。
歯車が狂ったのが14年の伊原監督就任だ。13年まで指揮を執っていた渡辺監督(現SD)が辞任すると、球団は潮崎二軍監督(現ヘッド兼投手コーチ)を昇格させる予定だった。
冒頭のOBが言う。
「しかし、潮崎は要請を固辞した。球団は仕方なく伊原を呼び戻すも、任期中の6月に途中休養ですからね。一軍スタッフの中で生え抜きかつ、西武でのコーチ歴が長い田辺監督が代行に選ばれた。本来、球団は田辺監督を指揮官に据える気はなく、本人もその色気はなかった。それでも『代行を務めた人をコーチに戻したのでは球団の聞こえもよくない。次の候補が決まるまで、しばらく指揮を執ってもらおう』という球団の考えで監督を引き受けざるを得なかったのです」
球団に翻弄された3シーズンだった。