さいたま国際女子マラソンを消滅させた実業団の“駅伝重視”
近代女子マラソン「第1号」のDNAが消える。
五輪や世界陸上など女子代表選考会のひとつだったさいたま国際マラソンが、12月に予定していた第6回大会開催を見送ることになった。
この一報に落胆したのが、元陸連専務理事の帖佐寛章氏だ。
「国際陸連(現・世界陸連)が世界で初めて公認した女子マラソンが1979年創設の東京国際女子マラソンだった。コース選定のため警視庁に通い、選手集めに奔走した思い出深い大会です。その後継大会が横浜国際(2009~14年)であり、さいたま国際(15年~)だったわけですから」
さいたまのコースは起伏が多く、「好記録が期待できない」と漏らす実業団の指導者も少なくなかった。しかも、全日本実業団対抗女子駅伝と開催日が近いことも有力選手が出場しない理由とされ、国内の「女子3大マラソン」(大阪国際、名古屋ウィメンズ)の中では最も注目度が低いレースだった。さいたま市の財政負担も重く、陸上界からも「消えていくのは時間の問題」という声が出ていた。