差別する軍人に「朝鮮人も日本人も同じ人間ではないか」
1932年ロサンゼルス五輪・三段跳び・銅メダル 大島鎌吉さん(上)
戦歿の友のみ若し霜柱――。(三橋敏雄)
戦没者を悼む句を詠んだ、俳人の名を思いだす。
現在まで判明している日本人戦没オリンピアンは38人(女性1人)に及ぶ。激戦地の南太平洋や中国などに限らず、国内の空襲で亡くなった者もいる。戦前のオリンピックに出場(冬季含めて計9回)した男子選手は延べで447人。そのうち37人が2回以上出場している。つまり、驚くべきことに11人に1人は、戦争の犠牲者になっているのだ。
よく知られている選手を挙げれば、1932年ロサンゼルス大会・馬術競技大賞典障害飛越個人で金メダリストになった陸軍大佐の西竹一は、42歳で硫黄島の戦いで戦死。36年ベルリン大会・陸上競技棒高跳びで銅メダリストになった大江季雄は、フィリピン・ルソン島での戦闘で27歳の若さで死亡している。