猿渡武嗣さんは妻に笑われた占いの「39歳で死ぬ」が現実に
1964年東京五輪・1968年メキシコ五輪・陸上3000メートル障害 猿渡武嗣さん(上)
「俺は、39歳で死ぬらしい。占いにはそう出ているんだって」
猿渡武嗣が妻の比都美に、そう言ったのは1969年春。結婚して間もなくだった。
「何冗談を言ってんのよ。あなたは殺されても死なないわよ。馬みたいなんだから……」
妻の言葉に夫は笑った。だが、結婚13年後にその冗談が現実となる。
■「起こさないでください」
その日、82年7月21日。猿渡は、赴任先の新日鉄室蘭から東京の新日鉄本社に出張中だった。前日の夜、久しぶりに会う本社勤務時代の同僚と好きなマージャンをし、宿泊するホテルに戻ったのは明け方。
「起こさないでください」のカードをドア外のノブに吊るして寝たが、昼すぎになっても起きてこない。
心配した従業員が部屋を訪ねたところ、息絶えていた。39歳、死因は心不全――。
猿渡は、決して傑出した選手ではなかった。
「陸上競技は才能やフォームではなく、努力と勝つことへの執念です」
こんな気概で何度も3000メートル障害の日本記録を塗り替え、東京とメキシコの2大会連続でオリンピックに出場。アジア大会を2度制した。
現役時代の同僚の話によると、きちょうめんで独自の練習メニューを作成。黙々と練習する典型的な努力型の地味な選手だった。
そのような性格の猿渡は、75年に現役選手引退後、社員の健康促進活動や各部署への予算配分などをする、東京本社厚生課に配属された。
以後、5年間にわたり、社員に文化・スポーツ活動を推進。とくに皇居1周マラソンを積極的に勧めた。