正代が賜杯第1号 熊本県出身の力士が優勝できなかったワケ
角界七不思議のひとつともいわれている。
9月場所を制した正代(28)の出身地、熊本県は相撲が盛んな土地として知られている。江戸時代と明治には、いずれも「不知火」という横綱を2人輩出したことでも知られ、現在も県内各地に相撲道場がある。文徳高、そして正代の母校でもある熊本農高は全国大会常連の強豪校だ。
しかし、大相撲の優勝が現行制度となった1909年以降、優勝力士は正代が初めてというのだから、関係者もクビをひねるわけである。
熊本県出身の力士がいないわけではない。古くは戦後の大関栃光、近年でも智乃花(元小結、現玉垣親方)、浜ノ嶋(元小結、現尾上親方)、浜錦(元前頭)、普天王(元小結、現稲川親方)らがおり、現役力士も正代を含めて24人いる。
親方のひとりは「推測も交じるけど」と、前置きしてこう続ける。
「相撲が盛んな土地だからこそ、地元に受け皿があることも影響しているのではないか。つまり、高校や大学を卒業後は地元で就職しながら実業団相撲に出場できる環境がある。それに加えて、熊本県人特有の『肥後もっこす』気質もあるのだろう。肥後もっこすは頑固で意地っ張りだが、似たような土佐のいごっそうが反骨精神旺盛なら、こちらは逆に保守的。堅実に就職をして大好きな相撲を……というわけです。ひと昔前は熊本県出身で角界入りする力士が少なかったのも、こうした気質と無関係ではないはず。さらに肥後もっこすは自己主張が激しいといわれているが、内に秘めるタイプも多い。尾上親方や稲川親方も、ガツガツしたタイプではなかった」
性格は個人差が大きいから一概には言えないとはいえ、正代もネガティブ思考で知られている。上を目指すため、さらに貪欲になれるか。