遠藤航が決意「いつかは遠藤=ヤットさんから航になる」
16年1月に浦和移籍。リオデジャネイロ五輪で世界を相手にボランチとして手ごたえをつかみながら、クラブではDFで起用された。「自分は身長が低い(178センチ)。世界でやるならボランチを突き詰めていくべき」という考えはあったが、ジレンマは簡単に解消されない。
それが18年ロシアW杯まで続き、代表では右SBでも使われた。揚げ句に大舞台では出番なし。「W杯に行ったことは価値がある」とは言うものの、釈然としない思いだったのは確かだろう。
■7年も続いたヤットと長谷部誠との“鉄板ボランチ”
風向きが変わり始めたのは、18年夏のベルギー移籍後。シントトロイデンで1年通してボランチで活躍したことで昨夏、ドイツの名門シュツットガルトへの道が開けた。
だが、当時のワルター監督にはすぐ認めてもらえなかった。11月までは出番を得られず、周囲からも不安視された。
「そういう時も、僕は常に全力でやることを心掛けた」と強調する。そこが、意外にもドイツ人選手に欠けている部分だという。12月にマタラッツォ現監督に交代してからはチームの大黒柱に君臨し、1部昇格に貢献。27歳にして夢に見た5大リーグ挑戦権を手にした。