ロッテ2位 中森俊介の祖父はサンダル履きのままバック宙を
入籍から3年後、兄弟の次男として産声を上げたのが中森だ。美幸さんは中森の出産後すぐ、船のエンジンなどを手掛ける鋳物メーカーに営業職の事務として再就職した。
その頃、美幸さんの両親が他界。共に暮らす祖母(中森の曽祖母)の負担を減らすために、家事は当番制に。中森も家事全般をこなすようになった。美幸さんが「いつでも嫁に出せます」と笑いながら言うほどだ。
幼少期から家庭の歯車となり、その過程で自立心も養われていった。
「小学1年くらいだと、翌日に使う教科書を母親と一緒に準備するじゃないですか。兄の方はそうでしたが、シュンは『自分でやるから』と嫌がったんです。大丈夫かなと心配で、夜中にこっそり中身をチェックしたのがバレて、怒られてしまったこともあります」(美幸さん)
■便所のスリッパをすべて整える
福住小で児童会長、篠山東中では応援団長や生徒会長を務めた。
「勉強を強制したことはありませんが、成績は良かったです。学ぶことが好きなんでしょうね。それに、シュンはもともと野球の強豪校に一般入試から入るつもりでいたので、自分で目標から逆算して(勉強に)取り組んでいました」(美幸さん)