ビールかけで転倒し尻に瓶刺さり流血…10針縫って二次会へ
ヤクルト選手、中日コーチ、巨人コーチ時代を合わせ、計10回以上は参加したビールかけ。いい年になっても、バカ騒ぎをして童心に帰れることが楽しい。
野村監督が率いた90~98年までにリーグ優勝4度、日本一3度。ヤクルトの黄金時代は、オフのテレビ出演も引っ張りだこだった。野村監督は「プロ野球は人気商売。とにかくテレビに積極的に出て名前と顔を売りなさい」とよく言っていた。
あのSMAPとバラエティー番組で共演したり、「筋肉番付」のような体力を競うものや、池山隆寛、広沢克己(現・克実)、古田敦也、内藤尚行らとゴルフや歌合戦に出演した。1回のギャラは50万円ほどが多かった。「優勝するとバラ色のオフ」というが、要するに、こういうことなのだ。
現ヤクルト監督の高津臣吾がアフロのカツラをかぶり、クリスタルキングの「大都会」を熱唱する姿は「オールスタープロ野球12球団対抗歌合戦」の風物詩となった。
当時の投手陣で思い出すのが、現楽天のGMで兼任監督に就任した石井一久。ぶっ飛んだ男だった。