大学生チームは1992年のバルセロナ五輪予選で惨敗した
1991年6月から始まったバルセロナ五輪アジア1次予選は、メキシコ五輪銅メダリストの山口芳忠氏(1944年9月生まれ。静岡県出身。藤枝東高-中央大-日立)が指揮を執って香港に1敗したが、5勝1敗という結果で最終予選進出を決めた。
山口監督は大学生中心の日本代表Bチームを率い、1988年に初めてアジアカップの予選を突破するなど若手チームでも実績はあった。
しかし当時の日本サッカー界の大目標である五輪出場を託すには、指導力がやや不安視されていた。そこでJFAは横山氏を総監督に置き、横山監督自身の評価も五輪最終予選で下すことになった。
23歳以下ということで、メンバーのほとんどが大学生だった。Jリーグがまだ開幕していないのだから、それも当然と言えば当然だった。
当時の主なメンバーは次の通り。
GKが下川健一(古河)はDFは相馬直樹(早稲田大。現鹿島監督)、名良橋晃(フジタ)、小村徳男(順天堂大)、石川康(本田)。MFは名波浩(順天堂大)、澤登正朗(東海大)、永井秀樹(国士舘大。現東京V監督)、長谷部茂利(中央大。現福岡監督)、藤田俊哉(筑波大)。FWが藤吉信次(読売クラブ)、三浦文丈(筑波大)、神野卓哉(日産)といった顔ぶれだった。