元阪急西本幸雄監督は8度のリーグVも日本一叶わず…「悲運なんて言ったらあいつらに失礼だよ」
と言って監督信任投票をやらせたのだ。すると43人中○32人、×7人、白票4人。7割を超える信任率は十分に合格点だろう。しかし、西本は、
「白票を×とすれば俺を支持しない選手が11人もいることになる。これでは監督を続けるわけにはいかない」
と言って辞意を表明する。結果的にオーナーの引き留めに翻意し、翌67年も続投。念願の初優勝を飾ると73年までの7年間で5度のリーグ優勝を成し遂げ、阪急をパ・リーグの強豪チームへと育てたが、日本シリーズは全てV9中の巨人に敗戦。さらに74年からは近鉄の監督に就任し79年、80年と連覇するも、2年続けて戦った広島にも敗れた。特に79年の第7戦は「江夏の21球」として今なお語り草となっている球史に残る1シーンが有名だ。1死満塁で石渡茂のスクイズを外された瞬間、ベンチの西本のがっかりした様子が大写しされたテレビの画面を覚えているオールドファンも多いはずだ。
日本シリーズに8回出場しながらついに一度も勝てなかった西本を人は「悲運の名将」と呼んだ。しかし、西本自身は終生、笑顔で語っていた。
「俺はあんな素晴らしい教え子たちと何回も優勝した。悲運なんて言ったらあいつらに失礼だよ」
(清水一利/ライター)