「監督をやる気はあるか?」大物OBに尋ねられ、ついに…と思ったらセガサミー監督の打診が
一瞬、面食らったものの、私は社会人出身でもあり、アマチュア球界に恩返しをしたい気持ちもあった。この話を受けることにした。
就任した13年、セガサミーは都市対抗、日本選手権と社会人野球の2大大会に出場。ともに初戦敗退に終わり、05年の創部以来、最高成績は都市対抗2回戦だったとはいえ、なぜ監督を交代する必要があるのか疑問だった。
実はこの年の都市対抗の1回戦で、私が3年前までコーチを務めていた新日鉄住金かずさマジックに0-2で敗退したことで、セガサミー幹部が「クラブチームに負けるなんて」と監督交代を決断したという。だが、かずさマジックはクラブチームではなく、企業のチーム。大きな勘違いだったのだ。
一方、私はかずさマジックのコーチを10年に退いたが、指導をした選手が活躍し、この年の都市対抗で4強、日本選手権で初優勝を果たしたことで、お鉢が回ってきたようだ。
そんな勘違いがきっかけで同年12月に監督になると、練習法の見直しからチーム改革に着手した。
まずは「革手袋使用禁止」を選手に通達した。寒い冬場の打撃練習で、バットの芯を外せば素手に激痛が走る。しっかり捉える練習である。ナインの手のひらの皮はすぐにボロボロになった。テーピングを器用に革手袋のように巻く選手が出てきたが、それも禁止。素手打ちは12月から2月までの3カ月間続けた。