足で稼いだ情報の積み重ねが逸材を引き寄せる 数字やデータだけでは分からない情報が武器だった
育英とはさらに古くからの縁がある。
「僕がスカウトを始めた1978年、育英に山崎章弘という捕手がいて担当しました。親父さんが魚屋さんで夏は予選でぽろっと負けたんですけど、翌年、巨人がドラフト2位で指名した。今年、オリックスから日本ハムへFA移籍した山崎福也の父親です。当時は石田博嗣さんが監督で、育英に行き始めたのはそこが始まり。栗山の時の監督は藤村雅美さん。阪神で4番、監督を務めた初代ミスタータイガースの藤村富美男さんの次男です」
こんなつながりもあった。
「70年代に監督を務めた日下隆さんは、戦前の生まれ(1929年)で近鉄パールス(現オリックス)の選手でした。引退後に鳴尾、三田学園で監督を務め、育英に行った。豪快な人で、近鉄で同僚だった根本陸夫さん(西武監督、管理部長など)の3歳年下なのに、『おい根本』って平気で呼び捨てにする(笑)。自分はレギュラーで根本さんは控えだったから、そういうのが通用するんでしょう。その日下さんの息子(篤)が育英の監督として93年夏に全国制覇。僕が現役時代からお世話になっている土井正博さん(近鉄、西武など)から日下さんを紹介され、通天閣の近くの飲み屋を貸し切りにして連れて行ってもらったり、酔っぱらって電話をかけてきて、2時間、3時間、話に付き合ったり。土井さんは『おまえ、いつも寝れんだろ?』って笑ってました(笑)」