滑り込みで南アW杯メンバー入り…「初戦のスタジアムに向かうバスの中から感極まっていた」
08年に岡田武史現FC今治会長が監督に就任してからは招集機会も増えたが、「当落線上」から脱出を図るべく、09年の夏に仏グルノーブルへ移籍。そこで29試合.4得点という結果を残し、南アW杯本大会メンバーに滑り込みを果たした。
「ドイツで落選したこともあり、自分にとって南アは『子供の頃から思い描いてきた夢をかなえる場所』でした。お金もいらないし、そこにいられるだけでいいという心境だった。カメルーン戦当日も、スタジアムに向かうバスの中から感極まっていた。涙こそ出なかったけど、あれほど感動したことはなかったと思います」と当日の高揚感を昨日のことのように言う。
■W杯後に燃え尽き症候群に
「南アが終わって、代表への強い思いがなくなったというか、燃え尽きたというか……。南ア直後に(ポルトガル1部の強豪)スポルティング・リスボンへの移籍話があって、行く気満々だったんですけど、破談になって目の前が真っ暗になったというのは本音です。南アで活躍したことでどこかに驕りもあったし、周りの意見も耳に入らなくて、フラフラ宙に浮いてた気がします。自分の中でやる気がうせた時期が1年あったんですよね」
燃え尽き症候群に似た状況に陥り、11年アジアカップ(カタール)2戦目のシリア戦で負傷して途中離脱。それを最後にザックジャパンに呼ばれなくなり、日の丸から遠ざかった。
足かけ9年の代表時代は、まさに山あり谷ありだった。