令和時代の「根性」を考える…いまや痛みに耐えながらマウンドに立つのはナンセンス
先日、「新語・流行語大賞」の30候補が発表されました。
日々、さまざまな「新語」が生まれている一方、当然ながら「死語」も続々と積み重なっています。その死語に目を向けると、令和の時代になってからは「根性」という単語をめっきり聞かなくなったように感じます。今回はその根性について、私なりの考えを記します。
皆さんは「根性」と聞いて、どのようなイメージを持ちますか。いくつかの辞書を引くと、「物事をやり通す強い気力」などと書かれていて、ここまでは誰もが納得するでしょう。では、高校野球においての「根性」と言われると、選手のどんな姿を想像しますか。
例えば投手なら、コンディションに不安を抱えていても大事な試合であれば無理をしてでも登板する、球数を投げすぎてフラフラになっていてもマウンドに立ち続ける──そんな姿が浮かぶかもしれません。
いまだに甲子園のたび、スポーツ記事のタイトルには「〇球の熱投」「足がつっても完投」「後からケガが発覚」などの文言が躍ります。