《秋山幸二の巻》選手、二軍監督としてチームを2度強くした。無口でも面倒見良く庶民派な一面も
秋山幸二さん(62)はホークスを2度、強くしたと言っても過言ではありません。
1度目は選手として。西武からトレードでダイエーに移籍してきた1994年以降です。この連載でも書きましたが、常勝軍団で競争意識が強い西武で揉まれてきた選手。体のどこかが痛いから休むということはしません。94年は腰痛で満足に走ることすらできなかった時期がありましたが、根本陸夫監督はスタメンで起用し続けました。フルスイングもできず、それでも右打ち中心の打撃で、打率.254、24本塁打、73打点の成績。そんな姿に小久保裕紀を筆頭としたさまざまな選手が感化されたのです。
2度目は指導者として2005、06年の二軍監督時代です。03、04年に二軍監督を務めた森脇浩司さんが、それまで午後には終わっていた二軍の練習時間を夜まで伸ばしたことは前回お話しした通り。秋山さんもそれを継承し、さらに打者の長所を伸ばす指導にも熱を入れていました。朝から練習を始め、夕方、影が長くなり、ナイター照明をつけてもまだ終わらない。秋山さん自身、西武時代は打撃の何かを掴むため、深夜1時にマシン打撃をしていたこともあったというのだから、「必要ならやって当然」という考えです。