昭和の負の遺産「体罰」を考える 「やったら一発アウト。即座に指導者を辞めるべき」

令和の時代に残る「昭和の負の遺産」のひとつに、体罰が挙げられます。
先日、関西の甲子園経験のある強豪校のベテラン監督が、部員への体罰を理由に謹慎処分を受けたと報じられ、世間に大きな衝撃を与えました。私は完全な部外者なので、この件に意見するつもりはありません。ただ、同監督とは交流があったため、正直、複雑な気持ちになりました。
恥ずかしながらも、私も30年以上前まではこのような指導をしていました。やめた理由、そのおかげで初めて甲子園に出場できたことなどについては、このコラムの第1回で書きました。そんな過去がある私が今回は自戒の念を込めつつ、体罰についての考えを話します。
かつては「愛のムチ」などともいわれ、体罰を受けた選手やその親から感謝されることも少なからずあったのも事実です。しかし、今はそうもいかない。世間では「体罰は悪」という認識が浸透しています。指導者も、もしやったらどうなるか、分かりきっているはずです。それなのになぜ、体罰で職を追われる指導者が後を絶たないのか。
最大の原因は、自分の感情をコントロールできないことにあると思います。納得のいかない出来事に直面したとき、感情的になって手が出てしまうのでしょう。
私の今の意見は、体罰は一発アウト。即座に辞めるべきだと思います。専大松戸の指導者の間でも、この意識は何よりも徹底しています。
では、体罰をしないためにはどうすべきか。
子供たちは、大人の常識では考えられないような行動をすることもあります。まだ未熟であっても、ひとりの人間ですから、指導する側にも苦手に感じる選手はいるでしょう。キツく言いすぎても「暴言」になるし、厳しい練習は体罰と受け取られかねない。指導で気を使う場面は格段に増えました。
だからこそ、冷たいことを言うようですが、
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