「北斎まんだら」梶よう子氏
直木賞候補にもなった「ヨイ豊」で、歌川一門と浮世絵の終焉を描いた著者が、今作で挑んだのは浮世絵の巨匠・葛飾北斎だ。
「もともとは北斎とその娘・お栄(応為)の親娘関係に興味があったんです。お栄自身も絵師で、かなりの実力があった。これまで北斎作といわれていた何枚かは、実はお栄が描いたことが近年の研究で判明したくらいの腕前です。だけど、お栄は自分の錦絵を一枚も出していないんですね。一体、それはなぜだったのか。本作では、わずかな資料から想像したお栄と北斎との最も濃密だった時代を切り取り、北斎を中心に、実在の人々が繰り広げる人間模様を弟子の一人の目を通して書いてみました」
時は天保時代。物語は信州小布施の豪商の総領息子・高井三九郎(のちの高井鴻山)が、京で絵の修業をしたのち、北斎の弟子になりたいと江戸にやってきたところから幕を開ける。
ある悩みと夢を胸に秘め北斎を訪ねた三九郎。しかし、家は店屋物の器と下絵で散乱、目の前で繰り広げられる大年増の娘・お栄と北斎の言動に唖然とする。
そんな三九郎に声をかけてきたのが、お調子者だが、美人画を描かせたら当代随一といわれる渓斎英泉こと善次郎だった。
「北斎には200人ともいわれる弟子がいましたが、なかでも三九郎は後年、北斎を小布施に招き、寺の天井画を描いてもらうなど親交が深い人物。貧乏な北斎にしてみればいいパトロンでした。ただ、三九郎が特別だったわけではなく、文化文政から天保にかけては、裕福な家のお坊ちゃんたちの遊学ブーム。三九郎のように、江戸や京で文化的教養を身につけることがステータスだったんですね。そんな遊学生たちのおかげで、北斎ら貧乏先生たちは食っていけた。いわば、彼らの身銭を切った下支えで江戸文化は花開いたんです」
弟子入りの話はうやむやなまま、三九郎のことを「三ちゃん」と呼ぶ善次郎と、がさつなお栄に振り回され、枕絵のモデルにされたり、火事見物に付き合わされたりと、三九郎の日々は目まぐるしく過ぎていく。
そんな中、北斎の枕絵の贋作が江戸に出回っているという事件が発覚。犯人と、北斎の贋作に手を染めた理由が明らかになるにつれ、登場する絵師たちが抱える苦しみや情念が、物語から立ち上ってくる。
「独創性を生みだす苦しみも書きたかったことのひとつです。北斎は絵以外のことには頓着しなかった、まさに画狂人。お金にも、歌川一門のような工房システムにも興味がなく、自分が世に出たい人でした。そんな北斎の突出した才能に皆が憧れて目指し、それゆえに自分の絵が描けなくなるんです。娘であるお栄も、そうだったのではと思いますね。だから北斎のそばにいなければ大成した人は、いっぱいいたんじゃないかな(笑い)。北斎に罪はないですが、あまりに強烈すぎて周りをグダグダにしたはた迷惑な人でした」
版元と絵師の攻防、歌川一門の活躍など背景として書き込まれた江戸文化や、絵師たちの絵に対する姿勢にも注目だ。
「北斎は何歳になっても高みを目指し、新しいことにチャレンジする思いを失わなかったんですね。江戸時代にそれをやり90歳まで生きたことを思えば、何だってできる。バイタリティーを見習いたいですね」(講談社 1700円+税)
▽かじようこ 東京都生まれ。05年「い草の花」で九州さが大衆文学賞大賞を受賞。08年「一朝の夢」で松本清張賞を受賞し、同作でデビュー。著書に、第154回直木賞候補になった「ヨイ豊」、「立身いたしたく候」「葵の月」など多数。