「憚りながら」後藤忠政著/宝島社文庫
「憚りながら」後藤忠政著/宝島社文庫
亡くなった創価学会名誉会長、池田大作を理解するのに山口組傘下の後藤組組長だった著者のこの本は欠かせない。なぜなら、後藤はある時まで池田と創価学会のボディーガードだったからだ。私は「自民党と創価学会」(集英社新書)や「池田大作と宮本顕治」(平凡社新書)を書く時に存分に利用させてもらった。第4章が「創価学会との攻防」である。
1996年春、新進党に統合された旧公明党の国会対策委員長として活躍した権藤恒夫は自民党の野中広務と会った際、「公明」代表の藤井富雄が後藤と会っているビデオが自民党に届けられた、と打ち明けられる。新進党切り崩しの材料になるこの「密会ビデオ」の話が永田町に流れたのは前年の暮れだった。
当時、自民党の組織広報本部長として反創価学会キャンペーンを指揮していた亀井静香が命を狙われているという噂が流れ、SPが増員されたりした。魚住昭著「野中広務 差別と権力」(講談社文庫)で、参議院のドンといわれた村上正邦の元側近が、こう語っている。
「騒ぎの発端は、藤井さんと後藤組長の密会ビデオでした。亀井さんが入手したそのビデオのなかで、藤井さんは反学会活動をしている亀井さんら四人の名前を挙げ、『この人たちはためにならない』という意味のことを言ったというんです。受け取りようでは後藤組長に四人への襲撃を依頼したという意味にもとれる。それで亀井さんと村上、警察関係者、弁護士、私も加わって対策会議が開かれたんです」
創価学会がかつては信仰していた日蓮正宗の本山の大石寺が静岡県の富士宮にあり、そこを本拠地とする後藤組とは自然に関わりが深くなった。その過程で大本堂や墓地の土地売買や建設工事をめぐって疑惑が取り沙汰され、富士宮市議会に調査のための百条委員会ができて池田大作の名誉市民剥奪の動きが出てきた時、後藤はそれをつぶしにかかる。
しかし、池田の“お庭番”で後藤との連絡係だった山崎正友が池田と対立するようになると、創価学会(池田)は山崎もろとも後藤との関係を断とうとする。それに怒った後藤が当時の公明党委員長の竹入義勝や書記長の矢野絢也に内容証明便を出し、さらには池田に会おうと学会本部に乗り込んだ。
「これには池田もビビっただろうな。そりゃそうだわ。行く先々で“パン”って音がするんだから」と後藤は笑っている。 ★★★(選者・佐高信)