「ミチノオク」佐伯一麦氏
仙台出身の私小説家である「ぼく」は、還暦をはさんだ数年間に生まれ故郷の東北を何度か旅した。西馬音内、飛島、月山道、会津磐梯山、遠野郷など、9つの旅の連作短編は、地理や歴史の文献を踏まえた東北紀行であり、旅に触発された私小説でもある。
旅の描写は細密画のように詳細で、その場の空気感まで伝わってくる。くっきりとピントが合っていた目の前の風景がふと揺らぐと、その土地の過去が浮かび上がる。今の地図と昔の地図を重ね合わせたように、風景が何層にも見えてくる。
「ぼくは仙台に住んでいるので、慣れ親しんできた沿岸部の風景が東日本大震災で一変し、それが復興していく姿をずっと見てきました。だから震災後、いや応なしに過去の風景と今の風景、未来に向かっていく風景を重ね合わせて見るようになったんだと思います」
旅は時をさかのぼり、菅江真澄や松尾芭蕉、柳田国男ら先人が見たであろう風景がよみがえる。霊魂やキツネ憑き、カッパやオシラサマなど、この世ならぬものも顔を出す。
関東圏で電気工をしながら小説を書いていた30代のはじめ、今は亡き作家の中上健次にこう言葉をかけられた。──君は東北出身だと聞いたけれども、東北というのは眠れる文化の宝庫だから、書けよ。
それから30年が過ぎ、大震災からしばらく時を経て本作が生まれた。
「大震災があってもなくても書いたと思います。厄災を生き延びてきた東北人の末裔は、救いのない風土でも生きていくほかはない。そういうある種冷徹な認識があるので、救いのなさは救いのないままに描きたかった。ぼくが生まれた仙台の家は広瀬川のすぐ近くだったので川でよく遊びましたが、河原に穴を掘ってはだめだ、と言われて育ちました。江戸時代の飢饉のとき亡くなって河原に埋められた大勢の人たちの骨が出てくるから、と。小さいときから、自分たちは厄災の上に生きているということを植えつけられていたのかもしれませんね」
旅の時空には、亡くなった人、懐かしい人も現れる。川で砂金採りを教えてくれたいとこは震災後の生きづらさのなか50代で亡くなった。どん底にあった「ぼく」を救ってくれた旧友は末期がんであることを告げたまま音信不通になった。縁あった人の思い出をたぐり寄せるうちに、「ぼく」の人生の痛切な場面もよみがえってくる。旅は人の心の奥へも続いていた。
本作のタイトルは「ミチノオク」。漢字の「陸奥」や「道の奥」からこぼれ落ちてしまう何かの気配がある。
「文献だけでなく口承の民話なども盛り込みたかったので、堅い漢字よりカタカナくらいがいいのかな、と。カタカナにすると『未知の奥』の意味合いもこもってきます。旅に限らず、われわれの人生もまた年を重ねながら常に未知の奥に踏み込んでいくものですからね」
9つの小さな旅を終えて本を閉じると、長い長い旅をしてきた心地になっている。ミチノオクはとてつもなく深い。
(新潮社 2420円)
▽佐伯一麦(さえき・かずみ)1959年、宮城県仙台市生まれ。仙台第一高校卒。雑誌記者、電気工などをしながら、84年「木を接ぐ」で作家デビュー。90年「ショート・サーキット」で野間文芸新人賞、91年「ア・ルース・ボーイ」で三島由紀夫賞など、多くの文学賞を受賞。「遠き山に日は落ちて」「鉄塔家族」「還れぬ家」「山海記」など著書多数。