6畳一間に家族7人… 歌手・中村美津子が語る“壮絶”幼少期
4年生になったら、駅売りは卒業して、配達をするようになった。200軒近く配ってたかなあ。新聞って広告も入ると重くてねぇ。夕刊も配るから、4時になったら、友達と遊ぶのをやめなあかん。もっと遊んでたいって思てました。
食事はね、朝はお茶漬け。おかずはタクアン。昼はお弁当を学校に持っていけなかったから、小学校から10分ぐらい走って家まで帰って食べてましたね。
おかずは市場の八百屋で売れ残った野菜……菜っ葉とかおナスとかを親がもらってきて、天かすと一緒に炊いたもんが多かった。でも、誕生日には、オトーチャンがサバ寿司を作ってくれました。一番の思い出の食べ物ですね。
家族みんなで競輪場に電車に乗って行った思い出もあります。オトーチャンが競輪が好きやったから。競輪場でおでんとか、おうどん食べさせてくれて……楽しかったなあ。
■母が亡くなり家族はバラバラに…
“狭いながらも楽しい我が家”やったんですけど、オカーチャンは私が小学生のとき、何回か倒れてました。栄養失調やと思うんです。働きづめでガリガリやったから。私が中学校2年のときには、とうとう半身不随になってしゃべられなくなった。可哀想やし、おしめ替えたりするのがつらかった。結局、オカーチャンは1カ月寝込んだだけで亡くなったんです。まだ43歳でした。