桑野信義が振り返る 高給蹴ってシャネルズ加入後の貧困生活
給料は額面16万円前後で手取り14万円ちょい。クラブの専属バンドをしてるより4万円も安い。それに、音楽活動ではスタジオ代とか、交通費をメンバーで割り勘にする。数千円から1万円ですが、それなりにかかるんです。
だから、節約のために昼飯は立ち食いソバが定番。当時はかけソバが1杯150円しなかったと思うけど、10円か20円増しにして大盛りをよく食べてました。あのころは苦しかったなあ。でも、仲間と頑張ってレコードデビューするんだ、メジャーになるんだって夢がすっごく魅力的でした。
そのうち、ライブハウスに出演できるようになって、「シャネルズ」のギャラは「新宿ルイード」で1回出演して3万円。この中から2万円をバンドの運営費に回して残りを等分すると、当時は10人編成だから、1人1000円。帰りに食事したら何も残らない。
そんな生活が約3年続き、「ランナウェイ」でどうにかレコードデビューしたのが80年の2月25日。ミリオンセラーを記録して、アルバイトしなくていいぐらい大忙しになった時はホント、うれしかった。たくさんかいた汗が報われ、苦労話も笑い話になった……。あれから35年経っても、こうやって芸能界で生きていられるのは、あの3年間の下積みがあったからだと思いますね。