本気でふざける「熱いバカ」 古田新太の揺るがない信念
「35までノーギャラですからね、ボク。劇団から金なんてもらえないと思ってました」(テレビ東京「チマタの噺」17年10月31日)
だから、テレビやラジオにバイト感覚で出るようになった。「商業主義に魂を売った」などと周りに言われることもあったが、気にしなかった。局から金をもらうのと、バイト先から時給をもらうのと、何が違うんだと思っていたからだ。
大きな転機になったのは、25歳のころに始まった「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)。なんと、ビートたけしの後釜に抜擢されたのだ。地元・関西でも知る人ぞ知る存在。東京での知名度はないに等しい状態だ。仲の良かった中島らもに相談すると、こんな答えが返ってきた。
「嫌われたらええんや。人が嫌がることばっかりやったらええねん。そしたらアイツ誰やってなるやろ」(NHK・Eテレ「SWITCHインタビュー達人達」17年11月18日)
嫌われるつもりで本気でふざけ続けたら人気が出た。一方、俳優の仕事では、客演した舞台で間近に体感した大竹しのぶや白石加代子のスゴさに天狗の鼻を折られ、来た仕事は何でもやらせてもらうと謙虚になった。