藤圭子「新宿の女」は薄幸のイメージ戦略がズバリ当たった
■「存在そのものが演歌」
目の不自由な母親の手を引きながら、その三味線に合わせ、通りすがりの人たちに訴えるように大きな目を見開いて歌っていたが、人形のような顔にそぐわない低いかすれた声に特徴があった。
石坂は「これはいける」と思ったのだろう。後日、「この子は、存在そのものが演歌。生い立ちがそのまま歌になる」と発掘秘話を明かしている。彼女を自宅に引き取り、レッスンを重ね、そうして生まれたのが「新宿の女」であった。
さらに、石坂は売り出す作戦を練った。アッと驚く仕掛けをして、いままでの歌手にない売り方をしようと。そのひとつが夜の歌舞伎町を徹夜で練り歩くキャンペーン。「演歌の星を背負った宿命の少女」というキャッチフレーズを宣伝させながら、新宿でご当地ソングとして火をつけようとした。もうひとつは、藤圭子のイメージづくりだ。絶対に笑わない、無口で凍ったような暗い表情を通すようにと厳命された藤圭子は、忠実にそれを守り通した。
こうした作戦は見事に当たり、暗い過去を背負った薄幸の少女は、瞬く間に時代の寵児となり、「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」「命預けます」と立て続けにヒットを飛ばした。