菅田×有村“はな恋”予想外ヒット!単なる恋愛映画にあらず
菅田将暉、有村架純主演の「花束みたいな恋をした」が予想以上のヒットで、映画業界はちょっとした驚きをもって受け止めている。最終の興収では20億円超えも視野に入った。
映画館の時短営業などもあり、年明けから厳しさを増す映画興行に明るい話題である。驚きはその興行展開にある。2週目の土日(2月6、7日)の興収は1週目土日の116%。全国では350スクリーン規模の大きな劇場編成だが、この数字の上がり方は邦画実写作品でなかなかあることではない。理由はズバリ、10代から20代、30代の女性中心に支持の輪が広がっていることだ。今やヒットの法則のようになったSNSなどの口コミ効果につながった。
タイトルのキラキラ感から人気原作の定番的な恋愛ものと受け止める人もいるかもしれないが、全く違う。人気テレビドラマなどで知られる坂元裕二のオリジナル脚本である。監督は、いまだ「罪の声」が生々しい土井裕泰だ。
恋愛映画には違いないが、ひねりが存分にきいている。若い男女の出会いからその後の展開までがワクワクさせられる。実は筆者は公開後すぐに映画館に見に行ったが、この中身に今どきの女子がどういう反応をするか、正直よくわからなかった。彼女たちの頭の中にある王道の恋愛映画ではないだけに、微妙に捉えた人もいたのではないかと思ったのである。ただ、映画館のスタッフに聞いてみると涙を流す人、興奮気味に連れと喋りながら出てくる人など反応はかなり高いようだった。それが2週目の数字に確実に反映されているわけだ。
■「奇跡」と「普通」の織り交ぜ方が絶妙
本作のポイントは「恋愛の奇跡と普通を描いた点」にあると筆者は勝手に思った。男女の出会いが奇跡、次第に関係が深まっていく過程が普通に見えた。言い換えると、ファンタジー(奇跡)と現実のリアル感(普通)が、絶妙な案配でミックスされた作品ともいっていい。奇跡はあり得ないような2人の趣味性、好みの一致だ。
ゲーム、ライブなど(押井守も)2人の一致感が尋常ではない。男女の結びつきには実に様々な形があると思うが、趣味性、好みが寸分の違いもなく、ぴたりと一致し合うのは極めて稀であろう。本作はそれを堂々とやっている。この潔さが大胆、新鮮に見えた。
いや、そういうこと(寸分の狂いもない一致感)もあるという人もいよう。それも、わからなくはない。ただ特に新鮮だと思ったのは、特異だと思われる趣味性、好みの共通性を介しながら、いつの間にかというか当然のように2人の心と肉体が重なり合っていくところだ。きっかけ、過程はともかく、その重なり合いの部分で普通がギュッと絞り出されてくるような感覚がある。
奇跡から普通へのダイナミックな展開が、恋愛に繊細な感情をもつ女子たちの気持ちを強烈につかんだということだろう。恋愛の、予備軍でなくても、わかる人にはわかる感覚だ。これは男女の別、年齢は関係ない。
飽きやすい定番ものを細かな描写で魅せる
物語は終局的には、奇跡、普通を超えた恋愛の微細な揺れ動き、関係性に焦点が絞られる。結果的に、本作は「恋愛映画の王道」の領域に入っていくのかもしれない。くどくなるが、まぎれもない変化球に見えた恋愛映画が、打者を迎えるかなり手前で、剛速球のような直球型のスピードボールになっていくといったらいいか。
女子たちの反応がつかみづらかったのは事実だ。だから改めて、本作の登場によって、邦画の恋愛映画の流れに変化が出てくる予感をもった。定番は必ず飽きがくる。覆すのは一つに観客の意識の変化もあろう。本作は見事につかんだと思う。これは何も恋愛映画に限ったことではない。
細かな展開はここでは記さないが、文章の締めとして一つだけつけ加えておきたい。映画のなかで映画ファンにはたまらない番組編成で定評のある都内の映画館・下高井戸シネマのチラシが出てくる。これが個人的にうれしかった。明大前、調布を中心にした京王線沿線の物語だ。この沿線界隈の高飛車なところのない庶民感覚的な描写の味わいも、ぐっときたのである。