原点は桂枝雀師匠の「上燗屋」あの噺と出合わなかったら…
緊急事態宣言下の2月7日、真打ち披露パーティーを無事に終えた宮治の心境はどうだったのか。
「僕は、『やらないよりやったほうがいい。やらないで後悔するくらいなら、チャレンジして失敗したほうがいい』という考え方なんです。その姿勢を貫いてよかったと思ってます」
現在開催中の披露興行にも宮治の考え方が表れている。末広亭、浅草演芸ホールではゲストが日替わりで出演する。末広亭のゲストは笑福亭鶴瓶、桂文珍、桂南光、桂雀々、桂米団治の上方勢。立川流の談春、談笑、円楽一門会の三遊亭好楽、鳳楽、そして山田邦子というそうそうたる顔ぶれだった。
「入門13年でこれだけの売れっ子、有名人に直接電話して出演をお願いできるまでになった。素人の頃を考えたら奇跡としか思えません。一生懸命やってれば仲間として認められるんだ、落語界って温かい方が多い、いい世界だなあと、改めて思いました」
真打ち披露興行には披露口上がある。新真打ちの師匠と協会幹部、ゲストが並んで口上を述べるのだが、初日の感想はどうだったか。
「僕は感激屋なので泣くと思ったけど、師匠の伸治の口上があまりにバカバカしい話で面白かったので、涙が引っ込みました。鶴瓶師匠の口上もバカ受けで、司会の神田伯山と、最後に三遊亭小遊三師匠がきちっと締めてくれて、本当にいい口上でした」
トリの高座はどうだったのか。演じたネタが気になった。
「初日ですと、本当ならトリらしい大ネタをやるところなんでしょうが、自分の原点は何かと考えたんです。それは31歳の年にユーチューブで見た桂枝雀師匠の『上燗屋』だと。あの噺と出合わなかったら、今の自分はなかったはずだ。僕を落語家にしてくれた噺をやろうと決めて高座に上がりました」
爆笑王といわれたレジェンド
上方落語界で爆笑王といわれたレジェンド、故桂枝雀。宮治はその弟子の雀太に稽古してもらったというが、上方落語である。
「お客さまはこのネタで満足してくれるという自信がありました。独演会に通って下さってる方が多かったので、結果的にはいい選択だったと思います」
さぞや客席を沸かしたことだろう。
宮治は31歳で入門した。それまでどんな人生を送っていたのか。興味のあるところだ。=つづく
(聞き手・吉川潮)
■桂宮治真打ち昇進披露興行
28日まで浅草演芸ホール(2月下席)、3月1~10日池袋演芸場(3月上席)、3月11~20日国立演芸場(3月中席)。3月23日はお江戸日本橋亭、4月1日はお江戸上野広小路亭に出演予定。
▽かつら・みやじ 1976(昭和51)年10月、東京・品川生まれ。本名・宮利之(みや・としゆき)。落語芸術協会所属。08(平成20)年2月、桂伸治に入門。12(平成24)年3月、二つ目昇進。21(令和3)年2月、真打ち昇進。抜擢昇進は92年の春風亭昇太以来29年ぶり。